スタジオの中は閑散としていた。
テレビ局と言えば、どこか華やかな印象があるが、ここは例外のようだった。
全体的に、やる気のないだらけた気分がスタジオの中に蔓延していた。人数も少ない。
それは、本来放送すべきだった番組が、タレントの不祥事でキャンセルされたかららしい。
その代わりに急遽、収録が行われることになった穴埋め番組を、これから録ろうというのだ。これは面白くなるぞとはしゃいでいるのは、プロデューサ一人だった。他のスタッフは誰一人、これが面白い番組になるとは信じていなかった。
内容は、無名の高校生二人組と、文化人二名の対談ということになっていた。高校生が日頃の素朴な疑問を述べて文化人が答えるという意図らしいが、高校生側は気の利いたことを言いそうに見えなければ、答える方もマスコミで名が知られているとはいえ、テレビ的に面白い言動をしてくれるタイプではない。
まあ、とりあえず、だらだらと適当に話をしてもらって、あとで編集でそれらしく形を整えるというのが、スタッフ側の腹づもりだった。要は、番組が形になれば良いのであって、面白くならないときは、一人だけ熱心なプロデューサに責任を取って貰おうと誰もが思っていた。
高校生二人は、並んだ机の上にノートパソコンを乗せて相談しながら画面を見ていた。二人はプロデューサのたっての希望で、高校の制服を着ていた。もっとも、相当に着崩していて、優等生には見えなかった。
文化人達も既にスタジオに入っていた。
更に司会者の女子アナがスタジオに入ってきた。
女子アナはスタッフに挨拶すると、やる気なさげに席に座った。
女子アナは言った。「まず、平成飢餓団のお二人をご紹介します。高校2年生の野口アクト君と、内村サイタ君です」
「どうも」野口が少し頭を下げた。
「こんにちは」内村はそう言ったが頭は下げなかった。
「さて、君たちのグループの名前、平成飢餓団というのは、とても不思議な名前ですけど、どういう意味なのか説明していただけますか?」
「平成って言葉の意味は分かりますよね?」
「もちろんですよ」と女子アナはにこやかに答えた。
「でも、説明します。意味が分からない人がいるから」と野口は平然と言った。
「ちょ、ちょっと待ってよ。平成って、あの平成でしょう? それぐらいは社会常識だから、説明しなくても構わないわよ」
「でも、僕らの仲間には、平成が分からない奴がいますよ」と野口は抗議した。「テレビでたくさんの人たち見られるのなら、かなり分からない人がいると思うんだ」
「そんな馬鹿なことがある? だって、平成って今の年号じゃない。今何年かも分からない人がいるっていうの?」
「そんな馬鹿はいませんよ」と野口は笑った。「今年は何年か知ってても、平成を知らない奴はいくらでもいますよ」
「それっておかしいじゃない。何年か分かるのに平成を知らないの?」
「それは西暦っていうんだよ」と内村がぼそっと言った。
「ああ、そうそう。普通の何年ってのは西暦っていうんでしょ? 普通みんな西暦使ってるじゃない。平成なんて、誰も使わないんだから、知らない人がいるのは当たり前だよ」
「ああ、でも、テレビの世界では平成はいちいち説明しないでいいのよ。それは分かっていると思って話を続けてくれるかしら?」
「それって俺らみたいな頭の悪いガキは相手にしないってこと?」
「え?」と女子アナは不意を付かれたようなきょとんとした表情になった。
「だから、平成知らない奴はテレビ見るなってこと?」
「そ、そんなことはないわ。テレビはみんなのものよ」
「じゃあ、どうして平成の意味を説明させてくれないんだよ」
「だって、それはあまりに常識すぎるから」
「知らない奴がいるのに常識のわけがないじゃん」
「だからそれは……」女子アナの表情は凍り付いていた。次に何をすれば良いのか、次に何を言えば良いのか分からなくなったようだ。
次の瞬間、女子アナの表情がパッと明るくなった。フリップに『言いたいことは全部喋らせろ』という指示が書かれていたからだ。
「分かりました。じゃあ、平成の意味を説明してください」
「僕が言う」と内村が口を開いた。「平成というのは、日本独自の年号で、1989年を平成1年とする。平成は1月8日からで、それ以前は昭和64年ということになっている。中途半端な日付で切り替わっているのは、天皇の代替わりに合わせて年号が切り替わったから」
「うんそう」と野口はうなずいた。「でも、僕らは天皇が生きようと死のうと関係ないんだ。それよりも、昭和じゃないっていうことが重要なんだ。昭和じゃないことを強調したいから、平成って言葉を使ってみたんだ」
「昭和と平成って、そんなに違うのかしら?」女子アナは相づちをうつように質問した。
「俺たちに聞かれても困るよ。俺たち、ほとんど昭和を知らないんだから」
「知らないのに強調したいの?」
「そう」
「なぜ?」
「なんかムカツクから」
「昭和にムカツクの? なぜ?」
「それが分からないから、偉い先生に教えてもらいに今日は来たんだよ」と野口は言った。
「ああ、そうだったわね。じゃあ、彼らの質問に答えてくださる先生方をご紹介します」
「ちょっと待ってよ」と野口が抗議した。「また平成飢餓団の平成までしか説明してないじゃないか。説明してくれって言われたから説明してるのに途中でやめさせるのかよ」
「あら、ごめんなさい」と女子アナは真剣に謝っている風もなく気軽に言った。「じゃあ、飢餓団も説明してくれるかしら?」
「これは、歴史の授業で、ギワダンの乱っていうのを聞いた記憶があったから、それに引っかけて、飢餓団にしてみたんだ」
「あら、学校の勉強も熱心なのね」
「いいや、ぜんぜん。俺ら、ギワダンってなんだか知らないもん」
「でも授業で聞いたんでしょう?」
「すぐ忘れちゃったよ。退屈な授業だし」
「じゃあ、飢餓団という言葉はダジャレで意味がないのね?」
「そういうわけでもない」と内村がボソッと言った。「文字通り、平成に生きる僕らが飢えているという意味で付けた名前で、ダジャレでもあるが、無意味というわけではない」
「飢えている? それはどういう意味かしら? この飽食の時代に」
「まあ、飢え死にはしないけどね」と野口は言った。「でも、本当にまともな食い物を食えてない連中はいくらでもいるよ」
「え? この時代に、そんな子供達がいるっていうの? まさか、親が子供を虐待して?」
「虐待なんて、そんな特別な家庭の話じゃなくてさ」と野口は言った。「俺たち、マクドのセットとか、松牛屋の牛丼とかが精一杯なんだよ」
「ファーストフードは若者に人気があるものね」
「人気なんてないよ。他に無いから行ってるだけ」と野口はため息をつくように行った。
「そう」と内村もうなずいた。「最初はあれを美味いって奴も、まともな料理の味を知ったら、みんな味気ないって言う」
「あの、お姉さん困っちゃったな。ええと、マクドバーガー、みんな行かないの?」
「行くよ。安い金額で長い時間だべってられるから」
「でも、美味しいとは思ってないわけね?」
「ああ、そう」
「じゃあ、どうして美味しい店に行かないの?」
「本当に美味い店って、いくら掛かるか分かってるの? あんなもんは、金持ちしか行けないよ。貧乏人は金額だけで門前払い。たまに安くて美味い店もあるけど、行列だらけで、簡単には入れないんだよ」
「ああ、そうか。美味しいものが食べられないから飢餓団なのね。でも、それは言い過ぎじゃないかしら? 食べ物ならコンビニやスーパーにいくらでもあるんだから」
「それは、貧乏人は美味いものを食うなってことですか?」
「あ、いえ、そういう意味じゃ……」
「僕ら」と内村がボソッと言った。「人間らしいまともな食べ物にありつけてませんから。だから飢餓団です」
「はい、ともかく分かりました」と女子アナはフリップの指示で慌てて話題を変えた。「次は、この二人の質問に答えてくださる先生方の紹介です。まずは、日本文化のご意見番。加納文人先生です」
頭に白いものが混じったやせ形の男が「よろしく」と言った。
「次は、女性の視点から社会を斬る社会批評家木下智実先生」
でっぷりと太った50代中頃の女性が「よろしくね」と甲高い声で言った。
「次は、若者と同じ視線で社会を見つめるルポライター桑原理太郎さん」
筋肉質の20代後半の男が、見るからに明朗快活に「よろしく!」と短く叫んだ。
「それでは、さっそく飢餓団の二人に質問をしていただきましょう」と女子アナは言った。「どんな質問か、ちゃんと考えてきてくれましたか?」
「はい。もう質問していいんですか?」
「ええ、どうぞ」
「じゃあ、最初は小さい質問から初めて、大きい質問は後にしたいと思うのですが、良いですか」
「構わないわよ」
「じゃあ、木下智実先生に質問があります」
「まあ、最初に私に質問するとは光栄ね。何でも聞いて頂戴」と太った女は嬉しそうにうなずいた。
「木下智実先生は数年前にテレビのコマーシャルに出演されていますね?」と野口は言った。
「どれのことかしら? いくつか出たと思うのだけど」
「ゲームのCMです」と野口は言った。「その中で、先生は『ピコピコってゲームはしょせん機械ですよ。機械ばかり相手にしたら人間は駄目になります』とおっしゃっていましたね」
「ええ、その通りです。ゲームなどやっていては、立派な人間になれませんわ。その趣旨がちゃんと通じたかどうか分からないCMでしたけど」
「いえ、そのことは質問とは関係ありません」
「じゃあ何を訊きたいのかしら?」
「ピコピコって何ですか?」
「ゲームはピコピコって音がするでしょう?」
野口と内村は顔を合わせた。
「あの」と野口は言った。「具体的に、ピコピコって音がするのは、何というゲームですか?」
「ゲームはどれだって、ピコピコって言うじゃない」
「僕ら、みんなでゲームソフトを持ち寄って100種類ぐらいのゲームを調べたんですが、ピコピコって音が印象に残るほど繰り返されるゲームは見つからなかったんです。だから、いったい、どんなゲームを木下先生が見ているのか気になって」
「それはおかしいわよ。だって、ゲームはみんなピコピコって言うじゃない」
木下は同意を求めるように左右の先生に視線を向けた。
加納文人は知らんぷりを決め込んだ。
桑原理太郎は快活に答えた。「確かに僕も若者と理解し合うためにゲームをやりますけど、ピコピコっていう音はしませんね」
「じゃあ、どんな音がするんですか?」と木下は眉を潜めた。
「ポップスとかロックとかオーケストラとか。あとは、斬る音とか殴る音とかエンジンの爆音とか」
「でも、みんなピコピコって言うじゃありませんか。それに、うちの子が持ってたゲームもピコピコ言ってましたよ。いったい私のどこが間違ってるっていうんですか」
「さあ、僕に訊かれても……」
そのとき、内村が手を上げた。「状況が分かりました」
一同は内村の方に顔を向けた。
内村はノートパソコンの画面を見ながら言った。
「日本で最初に普及した家庭用ゲームは任天堂ファミリーコンピュータだそうですが、それ以前に、液晶画面を使った携帯用のゲーム機の流行があったそうです。技術的にも貧弱なもので、音は単音しか出せず、それがピコピコという音に聞こえていたそうです。だいたい30年ぐらい前の話だそうです」
「つまり、ピコピコというのは、30年前にあったゲームのことなんですね?」と野口は言った。
「そうかもしれないけど、ゲームなんてみんな同じでしょう?」と木下は少し不愉快そうに言った。「私は音を問題にしているのではなく、子供が機械にかじりつくことの害を言っているのですから」
「でも、音に関しては古い話を持ち出したと言うことですね?」と野口は言った。
「そういう問題ではないのよ。機械なんかと遊んでいることが問題なのよ」
「あの、俺らは音のことだけ質問したいんです」と野口は言った。「僕らは自分たちの遊びについては満足してますから、別に意見はいりません」
「そうは行きません。ゲームばかりやっていたら、まともな大人になれませんよ」
「俺ら、ゲームばかりやってませんけど。ああ、そうだ」とそこで野口は何かに気付いた表情になった。「順番が変わりますけど、別の質問をします。子供はみんなゲームやってると思い込んでいる大人が結構多いんですが、これ、なぜなんでしょう?」
「そりゃゲームだけが遊びじゃないでしょうけど、いちばん夢中になってるのはゲームなんでしょう?」と木下は言った。
「俺ら、小学校の頃はいちばん夢中だったのはミニ四駆っす。それから、トレーディングカードゲームやって、今はコマっすよ」
「それもみんなゲームなんでしょ?」
野口と内村は顔を見合わせた。
「知らないんですか?」と野口は言った。
「ゲームの細かい種類など知りませんよ。有害だと分かればそれで十分です」
「ミニ四駆っていうのは、電池とモーターで走る自動車のプラモです。これでレースをやるんです。公式ルールもあって、全国大会もあります」と野口は言った。
「ああ、プラスチックモデルね。誰が作っても同じものしかできない俗悪なものね。まだ残ってたとは知らなかったわ」
「あの、みんな自分で改造してますから、一人ずつみんな違うマシンでしたけど」
「改造? だって、そのままで走るんでしょう?」
「走るけど、それじゃ勝てないから。オプションパーツを交換したり、車体を削って軽量化したり。みんな、工夫してましたよ。ただ作っただけじゃ勝てないし、簡単な必勝法も無いし。本物のレースと同じですよ」
木下は黙り込んで何も言わなかった。
「それで」と野口は言った。「どうして、子供はゲームばかりやってると思い込んでる大人がいるんでしょうか?」
「いやはや」と木下の代わりに桑原が答えた。「難しい質問をしてくるね。木下先生には申し訳ないけど、やはり、子供のことを語るなら、まず子供の中に入って一緒に過ごして話をする。これが必要ですよ。本で読んだ知識だけじゃ駄目なんです」
「桑原先生は、いつも若者の味方だとおっしゃっているようですが」と野口は言った。「若者を批判しているのではありませんか?」
「してないしてない。僕は若者の味方だよ」
「でも、家にこもってないで外に出ろって言うでしょ?」
「そうさ。その方が気持ちいいじゃないか」
「ビルの影で陽も当たらない場所ばかりで、しかも車が多くて排気ガスだからけ。そんな外に出て気持ちがいいんですか?」
「いや、そんなことを言ってるのではなくてだな。もっと自然の中で子供は遊べということだよ」
「だからさ。そんな自然が近くにあれば、僕らだって喜んで行きますよ」
「公園ぐらい近くにあるだろう」
「犬の糞だからけの公園ですか? 糞も自然のうちだから喜んで受け入れろと?」
「それは飼い主のマナーの問題だろ」
「僕ら、注意したことがありますけど、逆に怒られましたよ。子供のくせに生意気だって」
「なんて飼い主だ。そんな奴が生き物を飼うなどどうかしてる」
「だから、そういうのがいるから、僕らは公園に行けないわけですよ。なのに、あなたは公園に行けという。本当に公園に行って欲しいのなら、子供に意見を言う前に、そういう大人を何とかしようとは思わないのですか?」
「そ、それはだな……。こっちはペット問題は専門外で……」桑原が口ごもると勝ち誇ったように木下が笑ったが、もう木下は何も言わなかった。
「あの。僕らの質問に答えてくれるという大人はこれだけですか?」
誰もそれには返事をしなかった。
しかし、観覧席の老人が立ち上がった。
「そんなに答えが欲しければ、わしが答えてやる」
予定になかったようで、スタッフが慌てた。もう誰もフリップを出さなかったので、司会の女子アナも声を出せなかった。
老人客席から出てくるといきなり平成飢餓団の少年2人を殴り倒した。
「な、何をするんですか」
「これが答えだ」
「意味が分かりませんよ。都合が悪くなると暴力で問題を解決しようというのですか」
「ふん」
また少年2人は殴られた。
「またぶったな」
「ぶって悪いか。聞き分けのない生意気な子供にはこれしかあるまい」
「は、話せば分かる。そうでしょ? 何もいきなり殴らなくても」
また少年2人は殴られた。
「馬鹿野郎」老人は叫んだ。「世の中ってのは理屈じゃない。理不尽なんだ。言葉なんてものは、あとから辻褄を合わせるために出てくるものだ」
少年2人は、そのまますごすごとスタジオを退出した。
桑原が出てきて礼を言った。
「どなかた存じませんが、感謝しますよ。胸がスカッとしました」
木下も出てきた。
「ええ、私も感謝いたしますわ」
老人は2人に向き直った。
「叱り飛ばすべき子供が2人」
「ええ」と木下はうなずいた。「2人を叱っていただいて感謝していますわ」
「違う。今ここに世間知らずで態度のでかい子供が2人もおるではないか」
「ですからスタジオから出て行った2人が」
「スタジオに残っている2人のことを言っておるのじゃ」
「えっ?」
「目の前の2人も歯を食いしばって立っておれ。ああ、女性は顔だけは勘弁してやるかな。しかし、いい年をして子供みたいな言いぐさの数々はやはり捨て置けん」
「そんな馬鹿な!」
「ええい、問答無用!」
経緯を全て収録したテープを見てプロデューサは「視聴率が取れる」と喜んで、その老人にお礼を言いに行ったが逆に彼も問答無用に殴られ、テープは結局お蔵入りになったという。
(遠野秋彦・作 ©2010 TOHNO, Akihiko)